研究発表

 破壊と創造について

 

 

スピリチュアルとは目に見えない世界のことを言います。

全ての物事を本質から考えることで、世界を統合された観点から追求していきます。

全ては雛形的に構成されています。

 

よって、誰もが目の前に起こる事象について注意深く探求するならば、世界の在り方を知ることができます。

 

私は、二つの思想を発見しました。

その一つは「二つのものが対峙すると、破壊が起こり創造が始まる」ということです。

もう一つは「精神の奥は美しい世界が広がっており、そこでは小さな生命が燦々と輝いている」ということです。

 

破壊と創造のエネルギーの法則と宇宙の調和の法則です。

 

 

私は、机に向かって本を読んでいる時に、破壊と創造の法則を発見しました。

私たちが本を読むということは奇跡的なことです。本は白い紙に黒いインクで文字が印刷されています。

紙に文字が印刷されているということ、そしてその文字を目で見て脳で把握するという事象に私は注目しました。

 

 

誰かの脳の思考が言葉となり、白い紙に印刷されます。次元移行がなされています。

人間の脳は、多元的な事象を処理しています。

それは普段の生活から知ったこと、勉強して学んだ情報などを組み合わせていきます。

そして、各々が新しい発見をすることもあります。

 

誰かの脳の思考が言葉となり、紙に印刷され、本となります。

そしてその本のページを私の目が映し出し、私の脳内に入ります。

すると、誰かの脳の思考が私の思考の中に入ります。

そして私は新しい情報を取り入れることができます。

高次元の思考が、低次元に印刷されることで移行し、また高次元へと移行しているということになります。

 

白い紙は小さな量子の集合体であり、黒いインクの文字も量子の集合体です。

文字は小さな細かい原子の集合体であり、一つ一つの文字が小さく振動していることを思い出しました。

とするならば、私の目はその文字を見たときに、脳と文字が出会い化学反応を起こしています。

 

量子と量子は細かな結晶のようなものであり、純度が高いものと純度が高いものが合わさった時に別の結晶体を作り出します。

均等の取れた結晶体は次々に美しい創造の連鎖を起こしていきます。

 

そして、私たち人間は対象物がなければ認識することができず、常に何らかの対象と遭遇します。

これは人間が地球に誕生した際に起こる絶対条件となります。

人間は常になんらかの対象を元に認識し、発見し、生きています。

 

何らかの汚物などが入っている量子は、美しい化学反応を起こすことができません。

純度の高い脳を持つと、情報との出会いにより、次々に美しい創造がおきます。

 

これは、本だけでなく、私たちが生きている日常においても当てはめることができます。

身の回りの人工的なものは全て、誰かの思考と発想により生み出されたものです。

それらは、小さな原子が合わさった集合体です。

それらと人間の脳が化学反応を起こし、私たちは意識し、生活をしています。

 

一つ一つのものに歴史と思考が入っているという情報を得ると、それらを脳が把握し、無意識的に整えていく作業がなされます。

 

破壊というのは、事象の変化のことを言います。

二つの対象物が出会った時、化学反応が起こり、変化します。

本を読むという作業自体が破壊と創造の連続です。

そして、生きる生活するということ自体が破壊と創造の連続です。

 

しかし、私たちはそのような細かいことを意識せずに生きています。

ただ当たり前のこととなっていますが、私たち人間は皆、素晴らしい能力を持って生きています。

 

この能力を知ることで、可能性を広げることができます。

私たち一人ひとりが解放されると、もっと多くの創造ができます。

人間の脳の不純物を取り払うことで、脳の機能を活性化することができます。

 

脳内で無意識的に色んな作用が動いているのに、私たちはそれを抑制しており、本来人間に付与されている能力が開花されていません。

 

 

UNIPLATにて、ドキュメント

Essence of Spirituality1/ Destruction and Creation」を発表

 

 

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https://www.uniplat.social/document/125

 

 

 

2、対称について

 

 

私は、「対称」とは何かについてずっと考察してきました。

 

人間は、沢山の中から一部だけを取り出して検討します。例えば左右対称について考えます。

基本的に左右対称という取り上げ方は正確なものではなく、何かについて研究するための前提定義をいいます。

 

世界に同じものは存在しません。

物質も非物質も含め、空間、時間、意識の上では、全てのものが異なるからです。

自分の意識、対象となるものの視点の前提があり、「対称」という条件を付けています。

 

条件を付ける人間の角度が変われば、左右対称ではなくなります。

また、左右対称では空間自体が異なることが多いです。

よって、「左右対称」というのは、形式的で平面的な視点となります。

 

私たちは、人間として誕生した時から、対象物があって存在するのであり、

全てのものが「対称性」の元に存在しています。

沢山の条件の中で一つだけでも合致するのであれば、それは対称になるからです。

 

左右で形が同じであれば「左右対称」となります。

目で確認する「色」が同じであればそれも「左右対称」となります。「形」もそうです。

どのようなカテゴリーにおいても、同じ共通点があれば対称の材料となるのです。

 

視覚で捉える「有」が同じ二つのものも「対称」となります。

時間軸で捉える「今」においても共通となります。

よって、一つの対象物を「過去」と「今」で捉えた時、「対象物」という点で共通となります。

私たちは時間軸の上で生きており、過去の事象を研究して分析します。これも対称性となります。

 

 

私は沢山の絵を描いてきましたが、物質を目で見て、物質の絵を描くということは写真のような性質を持っています。

それはデッサンであり、具象絵画とも言えます。これは対称としての動作であり、創造ではないと私は考えています。

もちろんその物質を意識を持つ人間が描くのですから、目で見える形だけを描くわけではありませんが。

 

それでは、私は対称を超えて創造するにはどうしたら良いのか、考えました。

違う量子と量子が出会った時に化学反応が起こり、変化します。

無」と「有」においては、時間軸において「対称」となります。

しかし、瞬時に起こる合体の時、そこに「対称性」は、ないのではないかと考えました。

 

これは、立方体においての角のことでもあります。

線と線の合致地点、3面の合致地点において0となる場に「対称性」はないと私は考えています。

 

ここで、私が過去に創った二つの詩をご紹介します。私にとって「対称」とは奥深い考察です。

 

ここに、物事の原理の本質があるからです。

 

 

 

 

 

UNIPLATにて、ドキュメント

 

Essence of Spirituality1/ About Symmetry」を発表

 

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https://www.uniplat.social/document/126

 

 

 

3. 分断された人間

 

人間は、一つの真理を追求する時、カテゴリーに分けて探求します。

それは、光の球を固めて丸まった粘土にし、まずそれをめん棒で平らにし、

マスに切り分けて番号をつけ、それぞれの家にもち帰り、

各々が家にこもって一つのマスについて研究し続けるかのようです。

 

時間というものも同じです。それぞれの家には時間が流れ、研究が紡がれて行きます。

この家は集合体となりピラミッド型の組織図を構成します。

 

人は意識を顕在意識と潜在意識とに分類したりしますが、

このカテゴリーの分類の個々の家の中にこもると、

自分は、大きな真理の追求の過程である一つのマスの探求であることを忘れてしまう

顕在意識に支配されるようになります。

 

そして、なぜ自分たちがカテゴリー分類するのか、目的は何であるのかを見失い、

どのカテゴリーが優れているのか、どの家が優れているのかという新たな問題提起がなされるようになり、弱肉強食が起こります。この弱肉強食は真理の追求をいち早く進めるかのように思われます。

 

真理を追求する進化の過程において、これは自然に発生する流れであると私は考えていますが、問題は「真理」とは何であるかという点にあります。それは、弱肉強食というものにも、対称性が働いているという事です。それは一つの課題においての共通部分があるから、対峙がなされているのであり、この両者がいなければ破壊と創造は起こりません。

 

また、私たちは、生まれた時から対象物を認識し、各々が破壊と創造、次元上昇と次元下降の連続性の中生きています。各々が自分の世界観を作り上げて生きています。

 

私は「真理」とは人間が幸福に生きる事であると考えます。そのための探求の歴史を紡いでいます。人間がこれらの過程について、俯瞰して観る角度を持つ事で、苦しみから解放されると考えます。

 

カテゴリー分類されて家の中に入り込む意識だけでなく、本来の目的と、自分の家はどこの組織の中のどこに当たるものであるかを俯瞰して観るというものです。進化の過程において、私たちは各々の家やその家の歴史の連続の中で、いつ弱者になるか分からず、常に不安や闘争本能が働いてしまいますが、それは私たち人間皆が苦しんでしまう結果になります。

 

戦いではなく、真理の追求のために、各々の家があるのだということを大きな視野を持つ事がとても大切です。自然には、多くの生物が存在します。それらは、本能的に宇宙からのプログラムが仕組まれているかのようです。その循環に人間が入るために、私たちは、この大きな体系を知り、物事を俯瞰してみる視点を持つべきです。

 

社会において、色々なカテゴリー分類がなされています。それは、法律、医療、経済、化学、教育、政治などです。その中でもまた細かく分類されていきます。それらが、融合されるために、本来の目的は一体何なのかという統合プログラムが必要となります。

 

今まで、多くの人間の苦しみや血が流れてきており、それらを全て洗い流す事は顕在的には難しいと思われます。しかし、私たちの脳は素晴らしいプログラムを持っています。これらの歴史がどのような理由で発展してきたのかを、認識し、理解する事ができます。

 

例えば、真理の追求における一つのロジックがあります。しかし弱肉強食において防衛本能が働くと、そのロジックは次元上昇せずに、衰弱してしまいます。収縮は上昇下降という動ではなく静止し、成長を抑え込むからです。しかし、家が分断されているのは、戦いのためではなく、真理の追求のためであるという目的を知っているならば、防衛ではなく、ロジックを組み立てることに集中する事ができます。

 

防衛本能と精神と脳は繋がりがあり、人間の脳の開花や統合に、精神が大きな役割を持ちます。

 

UNIPLATにて、ドキュメント

 

Essence of Spirituality1/ Divided human beingsを発表

 

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https://www.uniplat.social/document/127

 

 

 

4.依存に陥る人間



私たち人間は、古来より、宇宙や自然に大きな力があると感じてきました。人間を超えた力や存在があると多くの人間が感じ、追求してきました。

 

私たち個々は、人間として誕生した時から、自分と他者を認識し、自己の世界の中で生きています。私たちは自分の脳内や意識内で起こる世界の中でしか存在する事ができません。

 

事実があったとしても、それを判断するのは個々であり、事実ではなく個々の判断が事実となります。本を読む時に、作者の書いた内容をどこまで把握できるかは、人それぞれです。各々の精神や脳内の観点からでしか、把握できません。

 

宇宙や自然、神が存在したとしても、真実をどう理解しているかは千差万別です。

 

私は、自然は電子発電所のようなものではないかと考えています。私たちは人間として地球に誕生した時から、心臓が動き身体が成長していきます。これは動物や自然も同じです。太陽、月、星、植物は動き続けています。

 

私たちが自然を理解する時に、知識を静止したものとして把握する事があります。しかし、それは、単なる知識であり、真の事実を理解していることにはなりません。

 

私たち一人ひとりは個々の世界の中で生きています。分断された各々の家の中でこもったままでも生きる事ができます。事実ではない事を事実として把握し、その中でも世界を作る事ができます。

 

ここで役立つものは論理です。論理は各々のずれを許さないからです。事実からずれたものはいずれ崩壊の道を辿ります。しかし、各々の家において、独りよがりの論理というものも存在します。照らし合わせをしないならば、それは真の論理であるのか、自分だけの家で通用するものか分からなくなってしまうからです。

 

これは、精神疾患ともよく似ています。何らかの負の原因により、精神が異常をきたすと、幻覚や幻聴症状があらわれます。本人は、この幻覚や幻聴が真であると思い込んでいますが、それは自分だけの妄想症状です。この症状が悪化すると、どんどん負担がかかり、崩壊していきます。

 

また、愛着障害は、依存という症状を引き起こします。嫉妬や自己承認欲求に支配されるようになり、本来の思考や感情が蝕まれていきます。そのような場合、アルコール依存や、薬物依存などもありますが、人間関係においても依存症状が出ます。また、これは思想においてもそのような症状を引き起こします。

 

対象物を事実として把握するのではなく、愛着障害を満たしてくれる対象物として捉えるようになります。事実ではなく、その人間の独りよがりの歪んだ論理が出来上がってしまいます。そして、誰かが指摘したとしても、本人にとっては生きる支えであるのですから、認めさせることは至難の業となります。

先進国において、精神疾患、依存症、自殺などが非常に増えています。私はこれらのほとんどの原因が、愛着障害によるものではないかと考えています。社会全体がこの病に陥っています。

 

そして、疾患症状であるのにも関わらず、自分を責め、自己否定に苛まれ、走り続けてしまっていますが、そもそも脳に支障をきたしており、自覚症状が皆無となっています。苦しみから逃れるためには、真とは何かを見極める必要がありますが、依存症候群に陥っています。

 

そもそも、地球の自然とかけ離れた方向に進んでいることは、人間自ら自爆装置を作っているようなものであり、現在SDGsの目標を掲げる必要になってしまった根本原因について考えるべきです。根本原因を見失ったまま、目標を掲げたとしても、原因を作っている人間社会がそれを解決する事ができるでしょうか。

 

脳内において、起承転結、真の論理的思考や感性が崩れているから、統合装置システムが作動しておらず、各々が分断された中で、自己を責めながら近場の目標に向かい必死になったとしても、また負の連鎖を生み出してしまいます。

 

 

UNIPLATにて、ドキュメント

Essence of Spirituality1/ Humans Falling into Dependenceを発表

 

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https://www.uniplat.social/document/150

 

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